学校に行かない

生きること



4月〇日 雨のちくもり

おかあさんがラジオを聴いている。

ボクもゴロゴロしてるけど、聴こえている。

ラジオの人が『学校に行かない子どもが…』とか

『不登校』とかいう、お話しをしていた。

学校ってなに?とおかあさんの顔を見たら、

「ニンゲンの修業の場の一つかなあ」と

おかあさんは笑顔で言った。

おととしの年度についての文部科学省の発表では、

小・中学校で約34万6千人、

高等学校で約6万9千人の子どもたちが

不登校、っていって

学校に行かないことを選んでいるんだって。

ラジオでは『これは過去最高の数字です』

って言ってたよ。

おかあさんは、ちょっと寂しそうな顔で教えてくれた。

私も、小学生の時に学校に行くことが

つらい日があった。

父が病気で死んで、母親しかいなかったから

母親は朝6時には、仕事に行っちゃってて

夜遅くまで家にいない日も、たくさんあった。

母親には前もって学校のことも話すけれど、

忙しいからか、忘れられていることも多くてね。

学校の授業で準備しなくてはいけないものが

朝になってもまだ揃っていなかったり。

でも親は家にいないから、困っても相談できない。

そんなことが、しょっちゅうあって。

先生から、「また、忘れ物したの?」って

みんなの前でいわれるのが怖くて、悲しくて。

もう、学校には行きたくないって思って

学校に行かなかった。

母親に叱られては泣きながら登校して…を

繰り返したことがあった。

私は《場面緘黙症》っていって、

家族やクラスの子とはおしゃべりができるのに

学校の先生や知らない大人に話しかけられると、

うなずいたり笑顔で返せたとしても

ひとつも声を出せない症状があった。

うまく言えないけれど、頑張って話そう、

と思うほど緊張して、声が出なくなってしまう。

その頃は、母親も含めて

そんな病名があることも

ほとんどの人が知らない時代だったので

「どうして返事をしないの?じゃあお菓子あげられないね」とか

「喋ろうとしなかったら、一生そのままだよ」なんて

大人から、何度も言われていて。

爆発しそうなくらい苦しくなっては、

毎回、ただ泣いてしまうばかりだった。

そんなときに私を助けてくれたのは、担任の先生。

学年が上がって、先生も変わった。

おじいちゃんみたいな先生だったんだけど、

いつものんびりとしてて、優しくて。

休み時間はみんなが先生にくっついて

おんぶしてもらったり、

先生の膝に座ったりしていた。

みんなのことを、いつも少し離れて

楽しそうだな、って見ていたんだけど。

ある時、「おいで」って先生が

私を膝にのせてくれて。

何度かそんなことがあって、うれしくて

先生に、今日あった出来事をノートに書いて渡してみた。

次の日には赤いペンでたくさん返事をくれて。

いつも、何気ない内容ばっかりで

きっと先生は、毎日忙しい中

返事を書くことも大変だったと思う。

『よかったね』とか『この表現は上手!』

と、私の表現に花丸💮を付けてくれることもあって。

「ああ、思ったことを話してもいいんだな」って

1年くらい書き続けたら、自分にしかわからない

自信みたいなものがついたのかな。

本当に少しずつ少しずつだけど、周りの大人とも

会話ができるようになっていった。


私は学校に行かないことを、

良いこととも悪いこととも思わない。

でも、〈子どもに無理強いはせずに〉の意味を、

大人自身がきちんと咀嚼できていないまま、

わかったような態度を装って

腫れ物に触るようなことをしないほうがいいな、

とは感じている。

どうして行けないの、ってきかれても

心の中にある原因なんて、誰だって

自分でも説明つかないことのほうが

多いものじゃないのかな?



ボクは、少しだけわかった気がした。

学校は

ニンゲンがいつか大きくなったとき、

自分で自分のご飯を得るためと、

ニンゲンとして生きるために必要なことを

仲間と一緒に頑張る場所、なのかな。

おかあさんは、

「先生のように立派な大人には、なれていないな」って

繰り返していたけれど、

おとなしい子どもだったのが、今じゃ

『おしゃべりニンゲン』になれたんだから。

だれかが大きくなるまでには、

たくさんの選べる道がある、ってことだよね。

頑張りすぎなくていいんだよね。

だいじょうぶ、だいじょうぶ。



明日もいい日になりますように。


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