前回、私たち家族の次男坊だった柴犬が
虹の橋へ旅立った話を書きました。
私は幼いころから動物が大好きです。
生まれたその日から、
家に飼われているいきものが
だれもいない、ということは
ありませんでした。
犬や猫、小鳥、リス、ハムスター、亀、ザリガニ…
とたくさんのいきもの達と暮らしてきて、
いつか寿命が尽きれば
お別れする日が来ることは
十分に分かっていたつもりです。
過去には
21歳のおじいさん猫(仔猫の時に保護)や
推定24歳のおばあちゃん保護猫も
その旅立ちを見送りました。
病院に行くことはせず、
でも、どの子も亡くなるその日も
苦しむ様子はありませんでした。
よろめきながらトイレもご飯も、
最後まで全部自分の力で
頑張って動きたい、という意志と
立派な姿を見守りながら送りました。
ただ、今回の病気は残酷でした。
リンパ腫と言われ
わずかな寛解はみられたものの、
敗血症になり
輸血もしていただきました。
輸血に協力いただいたワンちゃんには
今でも感謝しかありません。
在宅酸素まで必要とする
あの子の姿を目の当たりにしても
どうにもしてあげられなかった。
代わってあげられなかった。
時間がたってもつらい場面ばかりが
何度も思い起こされてしまい
もっとこうしていたら…と、
「ごめんね」を繰り返すのです。
「お母さんが泣くと
その子も≪虹の橋≫の雨の下から
出られなくて、みんながいるお花畑に
行くことができない、っていうよ」
と、子どもには励まされるけど……。
幾度となく
動物家族を見送ってきた我が家では
この≪虹の橋≫のことが
普通に会話の中に出てきます。
昔、子どもが私に、
「『あんまり泣かないで。
そして、いつかきっとまた
新しい家族を迎えてね』って
その子は空からいつも
そう思って見ているんだって」と、
何かの本で読んだ内容を
話してくれたのを思い出します。
秋もすっかり深くなったころ。
実家へ帰省中だった長女が、
憔悴した私を誘ってくれて
ふたりで保護猫の譲渡会へでかけました。
譲渡会といっても、
保護猫カフェも併設している
行ったことのある場所。
元気な猫たちの姿を見たら
きっと少し癒されるだろうか、
そんな気軽な感じで出かけました。
大きなケージの中に
多頭飼育崩壊の現場から
きょうだいと共にレスキューされて
お団子のようにくっついている
かわいい仔猫たちがいました。
その中で、自分もまだ小さいのに
守るようにそっと、
いもうと猫の肩を右手で抱く、
茶トラのオスの仔猫が
とても印象的でした。
たくさんの人が「かわいいね!」と
ケージを覗き込んでいたので、
すぐに新しいおうちは決まるね、と
娘と話していました。
ところが…
妹・弟の猫がみんな次々と
新しい家族のもとに引き取られてゆき、
広いケージに最後に残ったのが
どの人も「この子かわいい!」と
指さしていたはずの
さっきの茶トラ猫でした。
譲渡会の時間は、間もなく終了です。
たったひとりぼっちなんて!
かわいそうに。
と、私が顔をそむけたそばで
「ね?これは運命。
この子と一緒に帰ろう」
と、娘が背中を押してくれたのです。
生後、推定2か月の茶トラの仔猫。
これが、きびたとの出会いでした。
カリカリのご飯を食べない、と
保護施設でも心配されていたのに。
まるでずっと前から、
我が家で一緒にいたみたいに
のびのびとしていて。
ご飯もよく食べて、
ソファーでおなかを出して眠る。
不思議だったのは、
おもちゃを投げては咥えて戻る、
犬のような遊びが好き。
柴犬の子がそうだったように、
何もないはずのテレビ台の下を
のぞきこんでは
鼻を鳴らすように鳴いて呼び、
私が体をかがめたとたん
顔を上げて私の反応を見る、という
かわいい仕草。
ああ、こんな遊びをしたなあ、と
楽しい驚きと懐かしさで
心が温かくなります。
きびたのかわいさには
素直に癒されて、毎日少しずつ
笑うことが増えていきました。
新たに動物を飼ったら…
またいつか悲しい別れがある、と
真剣に話す方もいます。
その気持ち、本当によくわかります。
私の寿命が尽きて
いつか虹の橋のもとで
再会できるまで、
どの子も忘れられない。
別れは、何度あっても決して
慣れたりするものじゃない。
でも、
自分が生きている間は
今は虹の橋のもとにいる
あの子たちを思い出して
時々は会いたくなって
泣いてもいいのかな、と。
そして、新しく出逢う縁があれば
大切に、大切にしよう。
またいっぱい笑いあいたい。
また一緒にたくさんの
思い出を作りたい…
と考えられるようになりました。
きびたのそばにいることで
大好きなあの子たちにも
心からの「ありがとう」が
言えるようになった、と
今は強く、そう思います。