学校に行かない

生きること

家事をしながら流しているラジオから、

『学校に行かない子どもが…』とか

『不登校は…』などの話が

途切れ途切れ、聞こえてきた。

 

おととしの年度についての

文部科学省の発表では、

小・中学校で約34万6千人、

高等学校で約6万9千人の子どもたちが

学校に行かないことを選んでいて、

『これは過去最高の数字です』

とのこと。

私も、小学生の時

学校に行くのが、つらい日があった。

父が病気で死んでから

母親は仕事に行き始めて

朝早くから夜遅くまで

家にいない日が増えた。

学校の授業で準備するように、と

保護者に向けたお便りがあっても

当日の朝にまだ揃っていなかったり。

でも朝起きたら母親はもう、

仕事に行ってしまっているし、

困っても誰にも相談できない。

そんなことも、しょっちゅうあって。

先生から「また忘れ物したの?」って

みんなの前でいわれるのも悲しくて。

布団をかぶって

学校に行かないこともあった。

特に理由がない日だとしても

とにかく学校には行きたくない、

そんな日が多くあった。

お腹が痛い、足が痛いっていう理由も

休んで家にいたらケロっとして

何故かおさまるんだけど

訴えるその時は、

本当にお腹も足も痛いんだもの…!

母親に『嘘つくんじゃない』って

叱られては、泣きながら登校して…を

繰り返したことがあった。

私は《場面緘黙症》でした。

家族や友達とはおしゃべりができるのに

先生や大人に話しかけられると、

うなずいたり笑顔で返せたとしても

声は一つも出せない、

…という症状。

うまく言えないけれど、

頑張って話そう、と思うほど

声が出なくなってしまう。

その頃は母親も含めて

そんな病名があることも

周りは知らない時代だったので

「なぜ返事をしないの?

じゃあ、お菓子はあげられない」とか、

「話そうとしない、ずるい病気。

あんたは一生そのままだよ」なんて

いろんな大人から言われて

傷つくことは多かった。

わたしは本当に病気なのかな?

爆発しそうに苦しくなっては、

毎回、その場で泣いてしまう。

泣けばまた、叱られる。

どうすれば大人と話さないで済むのか…

そんなことばかり考える子どもだった。

 

そんなとき、ひとつ学年が上がって

担任の先生も変わった。

おじいちゃんみたいな先生だけど、

いつものんびりと、優しくて。

休み時間はクラスのみんなが

先生にくっついてお喋りして、

おんぶしてもらったり、

先生の膝に座ったりしていた。

私はいつも少し離れたところで

楽しそうだなあ、って見ていた。

ある時「おいで」って言って

先生が私を膝にのせてくれた。

先生は、私には何も言わないで

みんなと同じように

当たり前に遊んでくれる。

何度かそんな日があった。

うれしくて楽しかったから、

その日あった出来事を

ノートに書いて先生に渡してみた。

次の日、先生は

赤いペンでたくさんの

返事を書いてくれた。

それは私の『日記帳』になっていった。

毎日、欠かさず書いては渡し、

毎日、先生はそこに返事を書いてくれた。

『よかったね』とか『この表現が上手!』

と、私の書いたものに花丸💮を

付けてくれたこともあった。

『ドウシテ シャベラナイノ?』と、

先生から訊かれたことは

一度もなかった。

忙しい中で毎日毎日、

返事を書いてくれるのは

きっと、本当に大変だったと思う。

気づけば1年間のあいだ、

1日も休まず、日記を書き続けていた。

そのうち

「ああ、自分が思ったことって

言葉にしてもいいんだ!」って。

自分にしかわからない

自信みたいなものがついたのか

本当に、少しずつ少しずつだけれど、

周りの大人とも怖がらずに

会話ができるようになっていった。

 

 

「悩みがあるなら、話して」と

大人は子どもに言う。

簡単に言う。

けれど、大人が考えるようにはいかない。

いつもどの子も、簡単に自分の気持ちを

形にして言えるわけじゃない。

どうして、って何度きかれても

心の中にあるもやもやなんて、

誰だって…子供だって大人だって

自分でも説明のつかない気持ち、って

あるものじゃないかな?

あってもいいんじゃないのかな?

 

私は、学校に行かないことを

良いこととも悪いこととも思わない。

でも、オトナと呼ばれる誰かが

訳知り顔で勝手な分析して、

そのくせ半分はおそるおそる、

腫れ物に触るようにして

子どもに近づくなら

やめたほうがマシだと思う。

子どもには、

大人が考えている以上に

『成熟していない大人の世界』が、

ちゃんと見えていると思う。

相手が

大きくても小さくても、

ひとりの『人』として

しっかり対峙することができたらいいな。

到底、追いつかないけれど、

今は天国にいる

あの大好きな先生のような大人に

私もなりたい。

 

 

きびたの気持ち

ボクは、少しだけわかった気がした。

学校っていうところは

ニンゲンがいつか大きくなったとき

自分で自分や家族のためのご飯が

得られるようになるための勉強と、

ニンゲンとして

この世界で生きるために必要なこと、を

仲間と一緒に覚える場所、かな?

おかあさんは、

「あの先生のように

立派な大人には、なれない」って

繰り返していたけどさ。

でも、おとなしい子どもだったのが、

今じゃおかあさんは

『超・おしゃべりニンゲン』に

なっちゃったよね!

だれかが大きくなるまでには、

選べる道がまだたくさんあるよ、

ってことだよね。

ひとりぼっちで

頑張りすぎなくてもいいんだよね。

だから

だいじょうぶ、だいじょうぶ。



明日もいい日になりますように。

 

 

タイトルとURLをコピーしました