今日は寒かった。雪も降った。
こんな日は必ず
『くろねこのお母さん』のことを思い出す。
むかーしむかしのこと。
私が看護師になって間もないころ。
夕方、仕事が終わって、
住んでいたアパートへ帰ったとき。
その日は雪がちらつく寒い日で、
急いでカバンから玄関の鍵を出していたら
『にゃーおん!にゃーおん!』って、
どこからか鳴き声がして。
「だれ?おいで」って声をかけたら、
路地の陰からひょこっと、
やせっぽちの黒いねこが歩いてきた。
あら、かわいい!お腹がすいたの?
何か、猫でも食べられるものがあったかな…
と思いながら
ドアを開けたら、
くろねこは一緒に部屋に入ってきた。
とりあえずストーブをつけて暖かくして、
魚肉ソーセージと
お皿にお水を入れてあげたら、
あっという間に食べちゃって。
そしたら、ストーブの前で
ゴロゴロのどを鳴らして
横になって、そのまま眠ってしまった。
そっと体を撫でていたら、
お腹がゆっくり動いた。
赤ちゃんがお腹にいたんだね。
「あなた、お母さんなの」って言ったら、
きれいな優しい目でこっちを見て。
なのに、間もなく立ち上がって
玄関に向かって歩き出した。
『にゃー』と鳴いて
私の顔を見ながら
ドアを開けて、って訴えた。
外は寒いし心配だったけど、
きっと決まったおうちがあるのかな、と思って
「気をつけて帰るんだよ」って
送り出したんだ。
その日からしばらく、
くろねこお母さんと会うことはなかった。
春が近くなったある日、
残業ですっかり帰りが遅くなった夜、
暗くなった道を歩いていたら
「にゃーおん」って、鳴き声が聞こえた!
すぐにわかった。
「あ、お母さんなの?おいで」
って言ったら、
あの日みたいにまた
路地裏から出てきて。
そしたら……
「ミャーミャー!」って鳴きながら
仔猫が4匹、一緒に出てきた。
かわいい!かわいい!
うちに来た頃の、きびたみたい。
「わあ!お母さん、頑張ったね
見せに来てくれたんだね」って声をかけた。
うれしかったな~
それで、玄関のドアを開けたら、
くろねこお母さんが先に部屋に入って。
玄関のドアを開けたまま待っても、
仔猫たちは、鳴きながらウロウロ。
警戒して部屋には入ろうとしない。
くろねこお母さんは、
前と同じようにストーブの前で
ゴロンと横になって、
そしてなんと眠り始めた!
「ええ!仔猫たちは?」って
私は心配になって、何度も何度も
部屋と玄関を行ったり来たり。
警戒心の強い仔猫は、
開けたままのドアでも
決して中には入ろうとしない。
くろねこの背中を撫でながら、
「お母さん、子どもたちがずっと鳴いてるよ」って、
小さい声で言うと
『しかたないねえ』って感じで起き上がって、
ゆっくり外へ出て行った。
仔猫たちは急いでお母さんにくっついた。
私は暗い路地まで見送ったけど、
くろねこお母さんが、一度だけ
振り向いてこっちを見てくれた。
それが、くろねこさんと会えた最後だった。
ある日、少し離れた家の前で、おばさん達が立ち話をしていた。
「あの黒い猫!うちの敷地で子どもを産んだらしいの」
「そのあと、玄関前に死んだネズミを置いてったの。気持ち悪い!
何度も追い払ったら、やっといなくなったわ」
って。確かにびっくりするよね。
でも、猫が家の前にネズミを置いたのは、
きっと、お礼のつもりだったんだね。
……あの、くろねこのお母さんだよね。

この時私の住んでいたアパートは、
当時病院が借りた建物で、
猫を飼ってはいけないきまりだった。
みんな元気だろうか、お腹を空かせていないか
子どもたちは大きくなっただろうか……
当時の私が住む田舎では、
野良猫は捕獲されてしまえば
保健所へ送られることが当たり前だった。
『どうか生き抜いていてください』
『ごめんね…』
祈るような気持ちで、
人目に付きにくい場所に、お水とご飯を
そっと置いた日もあった。
休みの日には
歩きながら近所を探してみたけれど、
くろねこさん一家と再会することは
とうとう叶わなかった。
きびたの気持ち
くろねこさんはきっと
人間とずっと一緒にいられることはない、って
初めからわかっていたんじゃないのかな。
ああ、そうか。
だからおかあさんは、
冬になると冷たい窓のそばで
外を見ているボクをみつけて
「あれ、猫が冷たくなってるの?
それはだめだめ!」って言いいながら
ぎゅーって抱っこするんだね。
明日は暖かな日になりますように。