健康である程度まで生きてきたら
人生途中までの生き方は
自分自身の力次第で
どうにでも変えられる
可能性があるけれど、
最後はどんな人にも平等にやってくる『死』。
患者さんと話題を共有する中でも、
人生の核心に触れた話を
切り出すきっかけや
ナーバスになりがちな終末の話題を
『終活』という言葉は
ちょっとポジティブに語りあえる役割を
担ってくれるように感じている。
介護も施設でのお看取りも可能な
とある施設で私が勤務していた、
数年前のできごと。
施設で出会った80代の女性は、
いつもご機嫌で穏やかで、話題が豊富。
ご苦労が多かった人生と思われるのに、
そんな過去さえもユーモアを交えて話し、
誰にも分け隔てなく声をかけてくれる
とても素敵な方だった。
施設に入居する前の、体が動く間に
身の回りのことを自分で整理されて、
病気の今後については
緩和だけを希望されていた。
やがて、亡くなられたあとのこと。
あとかたづけの場面では
ご家族の中で困惑した方はひとりもないほど、
お金のことも不動産も、
たんすの中までも、
すべてが納まるべきところに整理され、
実の息子さんが
たった一度役所に出向いただけで
手続きが全部済むよう準備されていた、
とのことだった。
母親の見事なまでの人生の幕引きに、
「おふくろには到底かなわない」と
息子さんは家族の前で男泣きした、
とお聴きした。
ある90代の男性は、
転倒して歩けなくなったことをきっかけに
徐々に体力が落ち、
自力では起き上がれなくなっていた。
ご家族から、何度好物の差しれがあっても
頑なに首を横に振って
食事を全く受け入れず、
しだいに水を飲むことも拒む日が増えた。
往診の医師から
「このまま食べないでいると、ですね…」
と切り出されたが拒み続け、最後に
「では、点滴も受けない、それでよろしいですか?」
と、話しかけられると、
すべて理解したうえで
まもなくおとずれる『死』についても
一切を受け入れている、というように
何度も何度も頷かれた。
まもなく定年退職を迎えるという
ひとり息子さんは、
「親父ともう一度、酒を酌み交わしたい」
と、面会のたびに話していた。
あらかじめ私から、担当の医師に確認し
『舐められる程度の
お酒ならいいでしょう』との
許可を得ていたが、
ご本人は大好きだったお酒の話題にも
いつも目を閉じたままだった。
食事も点滴もないけれど、
苦しみもなく穏やかに過ぎていった
数日後。
訪室すると、気のせい血圧の触れが弱い。
なんとなく、顔色がすぐれない。
苦しそうな様子はないけれど、私が不意に
「息子さん、呼びましょうか?」と、
問いかけると
ご本人は閉眼したまま
《うん》と小さく頷いた。
電話で息子さんにありのままを伝えると、
数十分後、スーツ姿のままでやってきた。
その手には、
日本酒の一升瓶が抱えられていた。
私は、少しだけご本人のベッドを起こし
小さなコップと脱脂綿を脇に置いて、
ドアを閉めて退室した。
面会を終えた息子さんがやってきて
「看護師さん、
親父と一緒に呑めましたよ。
酒を唇にのせてやったら、
ちゃんと目を開けて
しっかり俺のことを見てくれて。
うれしかった。
きっとまだ、大丈夫だと思うよ!」と、
明るく帰って行かれた。
その、本当にわずかあとだった。
呼吸をしていないようだ、と
介護士が急いで報告に来た。
お孫さんも含むたくさんの
ご家族もやってきて
「恰好悪いところを人に見せたがらない。
強気で頑固な
おじいちゃんらしい、逝き方です」
と話された。
息子さんは目を潤ませながら
「最期にもう一度、
一緒に呑むことができた。
全部を自分で決めて、苦しみもせずに
一つの後悔もなく、
みんなにサヨナラって。
いいなあ、かっこいいな、おやじ!
俺の最期もこうありたいですよ」と。
皆さんあたたかくて、素敵な笑顔だった。
病院の外来で、お元気な患者さんから
何度かお聴きした言葉があって。
『好きなことをして、コロッと死にたい』
好きなことをして…は、
うん!共感しかない。
だけど…
例えばそれが過度のアルコールや喫煙、
自由気ままな食べ歩き~みたいな内容なら
すぐ未来に待っているのは、やっぱり…
罹患(=病気になること)。
ああ、これが無問題でうまくいくなら、
確かにどんなにいいだろう…😿
(私だって…食い倒したいよ、人生!)
無情にも持病は悪化しながら進み、
加齢に伴う衰えも重なってくれば、
なにかしらで心身苦しむ時期は
必ずやってくる。
だから
人生好きなように、であっても
自分がもらった器(=身体)を
粗末に扱ってなお、
ピンピンコロリとお別れした方…は
30年ほどの自分の看護師史上では、
片手に数えられるほども
まだお逢いできてはいない。
また、
『もう、いつ死んでもかまわない』
の言葉。
いつ死んでも…と口にするほど
実際は《本当の準備》が
できていないことが
多いような気がする。
《本当の準備》は
『周囲との話し合い』に尽きる、
と私は思っている。
それもできるだけ、元気な間に。
相続の問題や愛する家族のために…
などなど、それぞれの人がそれぞれの形で
準備して残したいものがあることは、
当然だし、重要なことだと思う。
でも、葬式は、遺骨は、お墓は…の
ひとつ前に
『自分の声が届かない所での最後の決定』
が、どの人にもおこる事かもしれない、
ってことが、
なかなか想像しにくいものなんだな、と
昔からずっと、感じている。
例えばそれは、
自分はどこで死にたいのか。
2021年の日本財団の調査によれば、
67~81歳の高齢者(当事者)と
35~59歳の高齢の親を持つ子世代
を対象に調査したところ、
およそ6割の方の本音が
『人生の最期は自宅で迎えたい』と、
希望しているとのことだった。
でも、実際は全体の8割の方が
医療機関での死を迎えている。
当事者の気持ちとしては、
『住み慣れた自宅がいいけれど、
誰にも迷惑はかけたくない』
と、思うそうだ。
こんな話し合いを、
家族間でできているケースは
結論がどうであれ、
その後在宅介護でのご縁があったときに
私たちは安心して支援していける。
もちろん、一度決めたら変えられない!
…ということではなく、
途中で決定が変わっても、問題はない。
どういうことかというと…
例えば、高齢になり病院に入院になって、
残された時間は限られてきたけれど、
時間とともにご家族に覚悟ができて
《本人が大好きな自宅に帰りたいなら、
なんとか最期までみてあげたい》
と、なったら。
地域にはケアマネージャーはじめ、
社会福祉に携わる人がいて、
経過を診る必要がある病気があるなら
私たち医療関係者も関わって支援する。
介護の初期指導から始まり、
やがて時がたてば、
お看取りまでの道のりを、
ご家族を孤立させずに
一緒に歩いていくこともできる。
もう一つの例えば…は。
自力では起きて歩くことも叶わなくなって
口から栄養を摂ることが不可能になる日。
《胃に穴を開けて管を入れるなら、
自宅介護でまだ生きられますよ。
ただし、
最後までベッド上での生活ですが》
と言われたら周囲はどうするのか、など。
↑このような状況時の患者さんご本人は、
すでにご本人に意思を確認したり、
言葉を発したりすること自体も
困難な状況にであることが多い。
そうすると、
医師が今後の方針を確認するのは
当然のことながら、
身近なご家族の誰か、になる。
この場面にも、
私は何度も立ち会ってきた。
予期していない場合、
ご家族はどんなケースでも相違なく、
皆さん本当に苦しんでいらっしゃる。
『管だらけの体にしてしまってよいのか』
『でも、少しでも長く一緒に過ごしたい』
布団に入っても考えが消えないほど、
毎日、悩みに悩みながら
そして、必ずと言ってよいほど
「看護師さんなら、どうしますか?」
と訊かれる。
一つの命の送り方に、絶対の正解はない。
でも、
結論を出せるご家族間の気持ちが
《ぶれないこと》のひとつに、
過去に何度かご家族間で
『もしもこんな状態になったら…』と
話題にされていた、という背景が
必ずと言ってよいほどあることを知った。
終活では、物の片づけや遺書よりも
まずは周囲との何気ない会話が大切、と
私が思ってしまう理由はここにあって
経験を重ねるほど、その思いが強くなる。
ただ。
決して簡単なことではない、と思う。
私自身は自分の子どもと会話するとき
「お願いだから私の時は、
『母は元気な時に、
延命は断固拒否していました』
って必ず言ってね!
…でないと、化けて出るよ~!」
などと伝えているけれど、
次女は決まって
「うん、理解はできる。
けど、いざ目の前にしたら、
やっぱりさ……
お母さんにはまだ死んでほしくない、と
思って、反対の選択をしちゃうかも」と、
少し困った顔で話していた。
こんな些細なやりとりがいずれ、
私のことで何らかの決定を迫られる場面が
子どもの目の前に示されたときに
これでよかったよね、と
自分たちを責めず、
明るく私を送ってくれるいいきっかけに
なってくれるのではないか…と信じたい。
生まれ方がどうあるかは、
自分の意志では決められなかったこと。
加えてそこからの人生の道のりが、
自分の思い通りではなかったとしても、
最後くらいは
映画のエンドロールみたいに画面全部を
自分らしさでいっぱいにして、
手を振りたいな、と思う。
きびたの気持ち
あ、見つかった…💦
またまた、こんなことしてごめんなさい。
足で踏んだらピッ!て鳴ったから。
面白くて、つい…。
…ねえ、おかあさん?
たとえ絶望的につらい状態の中でも、
ボクたちみたいな動物は
自分の命を
自分で終わりにすること、が選べない。
最後の最後まで、
生きることを続けるしかないんだ。
いつでも今を一生懸命生きてるよ。
ボクも毎日、
《新しいことを探しにいくこと》が
とっても楽しいんだよね!
…だからさ、あの、
あんまり怒らないでね~🐈
明日も楽しい日になりますように。
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