生きづらさ、という言葉。
経済的なこと、健康のこと、人間関係、仕事……。その人にとって「生きづらさ」になることの原因は、さまざまだと思う。
私の場合は、実母との関係から自分の考え方や生き方にまで本当に大きな影響があった。まず、その気づきにたどり着くまでに数十年かかった。人生の大半だった。
『あの人のせいで自分の人生がこうなった』と繰り返すことは、不毛だ。少なくとも今の私にとっては、誰かのせいにして進めないことこそが、あの母親と同じ軌跡を辿ることになるから。
だからこそ。まずは書くことで必ず自分を生きなおしたい。
今はそれしか、できることが浮かばないから。
【自分に優しく】【自分を甘やかす】ってなんだ??
わからない。人には言うのに。
友人にも、患者さんにも介護する家族にも
『もう少しご自分を甘やかしてあげたら』なんて言うのに。
ずっとそうだった。
人には当たり前のようにいうけれど、私は本当の意味が分からない。
先月仕事を辞めた。家族からも『ゆっくり自分を労わって』と何度も言ってもらう。
でも、やっぱり分からない。
十分な休みを、今頂いている。
自由なはずなのに、焦る気持ちしか出てこない。
ゆっくりしているはずなのに、安堵感がない。
原因はよく分かっている。というか、分かってきてしまった。
実母の呪縛は想像以上に大きかった。
政治的な思想信条を私や孫たちへ押し付けてきただけではなく、生き方も考え方も根っこにあったのは[絶対にあなたの間違った自由になんかさせない!]だった。
勝手に嫉妬されて、比べられて。人生の多くの私の選択を、彼女に壊されてきた。
二人の弟でさえ、話したところでなかなか理解はされない。
「実の親子なんだから、上手くやってくれよ」って笑うだけ。
娘と母。
世にたくさんの意見が出回るまで、この自分自身が毒親との人生を歩んでいたなんて、夢にも浮かぶことなく生きてきた。
〈以下はノンフィクションです〉
実母発の言葉・ほんの一部
『お父さんが死んだ時、同情されたのは最初の3年だけ。あんた(普段のワタシへの実母からの呼称)とは違うからね(この後、あんたは仕事に恵まれている、でもあんたの周りにはろくな男がいない…と2時間続く)』『子育てで仕事辞めたい?それはおかしくない?私だって予定日1か月前まで会社勤めをやり切った、また働くつもりでいたし。(彼女はその後専業主婦となったが、私は結局3人とも産後働いた)』『あんた自分に甘いよ。家族のご飯なんて、母親なら週末に作りおきするべきだ。(この時私はまだ夜勤もしているし、おなかに3人目の子がいる状況)』『化粧品売り場の人に肌が若いですね、って言われたの(お店は商売だからみんなに言うかもね、とやんわり返すと本気の激怒)あんたの容姿は(父方の小柄で太った)義姉みたい、嫌な話し方も似ている、血は争えない』
他、学生時代に私が自分の好きなものを書いて、作品が表彰などされると『あんたが?出来るわけない。珍しい、まぐれだね』
私だけではない。友人・親類・結婚した私や弟の家族、さっきレジの前でビールを買って並んでいた実母が最も嫌う、肥満気味の赤の他人様。もう、きりがない陰口や中傷たちを、私に毎日のように語るのだ。舌打ちをしながら。
100キロ離れた土地へ嫁いだって、電話は隔日でかかってくる。何度嫌悪感を伝えて向き合ったとしても、これはまったく変わらなかった。
でも。私は彼女の『お達し』をやり切ったのだ。
結果やりたいことは諦めて。大好きだった彼とも別れて。……色々なことがあった。
たとえ家を出たところで、どこまでも追いかけてくる。
私が22歳の頃。ようやく社会へ出て、実母の反対を押し切り、同じ市内で一人暮らしを始めたある日。なんとなく不穏な感じがしてカーテンをそっと開けたら、少し先に実母が立ってこちらを見ていた。チープなホラー映画?と今なら思うけれど、この頃は『心配してくれる母親をもつ娘』を徹底して装っていた。
正直、あの頃は今浮かんでいるどれが自分の本当の考えなのかさえ、もうわからなくなってしまっていた。20代も30代も、いつもどこか自分を生きている感じがなかった。
母はかわいそうで苦労した人。私の尊敬する人なはず。
逃げ場もない自分だから、せめていい子に徹して過ごすしかない。
子供のころから私は≪世の中の人より、私ってかなり劣ってる。だから成果がでないんだな≫≪努力も足りない。バカだから≫と本気で思っていたし、失敗したことを彼女に話せば『ほらね、お母さんが前に話した通りでしょ?』の返事が待っている。
だから、この失敗の時だけは優しく私の話を聞いてくれる母だったのだ。
そう、洗脳だ。完全に取り込まれるパターンで。
そして彼女は、本…当に外面がいい。頭の回転もよい。
昔は山口百恵の若いころによく似ていた、と複数の大人から私も聞かされるほどの器量だったらしい。周囲への気遣いもすさまじい。
『優しくていいお母さんで羨ましいな』と、私の友人も言った。
だけど。東京で働く実弟はもう20年以上も帰省せず、母親にだけは連絡をしてこない。
…という事実で彼女の笑顔の裏にある本質って伝わるのだろうか。
離婚後、私がクリニック開院時に引き抜いてもらったことで、遠方へ転居した18年ほど前、実母と再び同居することになった。
…といっても実家ではない。仲介業者さんに掛け合ってもらい、頑張って私名義で中古住宅を購入したから。母の金銭援助はこの時全くなかった。
ある日、実母の方から急に、今後も孫の世話係が必要でしょうよ、と言われ。私の「もう少し生活が落ち着くまで待ってほしい」の言葉もむなしく、その後わずか3日後には、彼女は地元を引き払い、あれよあれよという間に転居してきてしまったのだ。
まだ開院したばかりで、仕事も子どもの世話も猛烈に忙しい私の状態を知っている中、あえて強行されてしまった出来事だった。
『これからは、私たち同志だね!』とも言われた。
この頃から絶えず私には違和感があった。
私、普通に会話はしていたはずなのにな。
生活費を求めたこともない。でも、実母がよく世間話をするご近所や親戚から、いつの間にか私は〈親の買った家に転がり込んで、子どもの世話をさせるために拘束している娘〉にされていたようで驚いた。
彼女が、ある日高齢の知人夫婦から登山旅行に誘われた。それは良かったね、と事前に少しばかりのお小遣いも渡した。私個人にお付き合いはないが、心おきなく旅行へ行ってほしかったから。登山から帰宅した実母は、なぜか手に菓子折りを持っていた。
何かと聞けば、その誘った方のところへこれを持って母親を誘ってくれたお礼に娘として挨拶へ行け、と言う。しっかり断ったが彼女は激怒した。
後々その怒りを理解したのだけれど、夫婦であるお二人に誘われた、という事実が、彼女の〔負け感〕を強く刺激していた。
娘さんがいないご夫婦へ『いいもの持ってる』と私を見せつけたかったのが、唯一の理由だったようだ。
同居の孫に対しても「親と同じで反抗的だ!だからあんたには友達がいないんだ」等と幾度も発言し、自尊心を失いかけた子をかばう私と、大喧嘩しても治らない。
大人受けがよく、話をよく聞く末娘だけをいつも連れ歩いて褒めていた。
支持する政治団体の集会へ、病み上がりで体調のすぐれなかった当時小学生だった末娘を連れて参加する、と彼女がしつこく言ったところで私はキレた。
小さかった子どもたちも思春期になり、必要以外の会話を家族全員が避けるようになったころ、彼女はようやく出ていった。
『これであんたの思うツボだねー』と、やけくそのような捨て台詞を私に残して(でも、地元ではなく近くに転居した)。
子ども達には、親として本当に本当に申し訳ないことをしたと思う。
親が離婚したという負担以上に、この経験は今も根深く続いているからだ。
以降、子どもも私も実母本人と会うことはない。
私の対応で何かお褒めいただくと「母と話したので」と、返してきた。
そのことが「偉いね、苦労して大変な中で、よくこんないい娘に育てたね!」の言葉になって実母へ返っていく。
彼女の気持ちとしては、私の成果はすべて母あってのものなのだから(笑)、母親として私を褒めたなんて言葉は、これまで一握りも、ない。
賞賛こそ実母の大きな目的であったし、ずっと私がいい子でさえいれば、めでたしめでたし、でよかった。
あんたにはスポーツは合わない、お琴を習わせたかった、この着物を着せたかった、あの友人はおかしな人ね、結婚式はこの衣装にしなさい、あんたの夫がその組合に入るのをやめさせたほうがいい、あんたの子供にはこの服を…………
あんたは人のために奉仕するべき、美しく徳を積むべき。
でも《自由に考える》《自分を甘やかす》ということは、(世間の道理や理屈ではうなずいても)娘である私自身に置き換えるなど、私たち親子の間ではあってはならないことだった。
私の父は35歳の若さでこの世を去ったけれど、面倒見がよくて友人も多く誰からも慕われていた。
愛犬を突然亡くして泣き崩れた当時5歳の私のために、近所で生まれた雑種の仔犬をこっそり頼みこんでもらってきて、寝起きの私にサプライズで逢わせてくれた。
たばこと麻雀、野球と釣りが好きで。ちょっとがさつに見えるけど、困った人は放っておかない。なぜか懐メロ好きなのもボーリングが得意なのも、父に重なる私の特性だと勝手に思っている。
何よりも。読書が大好きで小説家を夢見ていた父。
もし生きていてくれたら、たくさん話さずとも「おう、好きなことならやってみな」と、きっと私に言ってくれただろう。
どうして、亡くなったのが母じゃなくて父だったんだろう…。
そんなことまで考えてしまっていた。
24歳になった娘と話した中で、ついそのまま言葉になってこぼしてしまった。
「しまった!」と思った。
けれど、娘からは
「こんな環境でさ、おばあちゃんとの間に立っていつだって壁になって、実はすごく大変なことを頑張ってくれた。もしあのまま、お母さんがおばあちゃんと同じ考え方だったら、自分たち兄妹もどんな人生になっていたかわからないし、きっとお母さんのこと恨んで絶縁したと思う。でも、自分に責任持つなら本当にやりたいことは自由に考えな、ってお母さんはいつもぶれないで後押ししてくれた。私は学校も仕事もやりたいことも、友人や恋愛のことだって思い通りにできている。だから、そう思うのは仕方ない。おじいちゃんが今もいてくれたら、私だってきっと大好きになったと思う」と返事があった。
なんか有難いな、と思った。
だからって。
「じゃあ、私も人生楽しく大転換へ!」とはならないのだ。
やり方がわからないから。甘えるって、自分に優しくって、なんだ…?
…つづく

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